想い出話

自由が丘で育った私の記憶の中には、懐かしい風景や面白い想い出話が色あせることなく残っている。クスッと笑ってしまうような当時を思い出し 遠くをぼんやり見ると その時の光景が見てえくるような話を 気ままに書いていこうと思う。

おばちゃん

物心ついた頃からおばちゃん(ダック先代社長)がいた。パーマヘアー、大きなこげ茶色フレームの眼鏡、いつでもパンツ(スカート姿は見たことがない)、とにかく元気な人だった。 私には 優しくて 甘かった 。けれども、お客様に対しては厳しい人だった。その厳しさに(言い方がキツイ)怒って帰るお客様もいた。例えば ボタンを買いに来たお客様が 合わせる生地や洋服を持ってこないと「アカン。話んならん」「帰りなさい」大抵のお客様はビックリする。ボタンを買いに来たのに 帰れと言われるのですから…今では考えられない事ですが、お店ではいつものことであった。しかし、これが おばちゃんのこだわりであり、合わせる物さえあれば ピッタリのボタンを選べる!という 自信なのであった。

昔 自由が丘駅前には柳の木がたくさんあった。ロータリーを囲むように、柳が風に吹かれ、ゆ~らん ゆ~らんと揺れていた。柳といえば・・・うらめしや~と髪の長いお化けが現れるのが定番。なので「柳の下を通る時は息を止めるとお化けに会わないんだって。」という友達からのアドバイスを信じ、必ず息を止めて歩いていた。夜になると手相占いの人が今にも消えそうな明かりを灯して柳付近に座るので 更に怖さが増すのだ。スイーツの街と言われる 現在の自由が丘からは想像もできないのでは?風に揺れる柳も 今となっては 懐かしく あれはあれで良かったなと思う。

 

8ミリビデオ

飛行機乗りであった 社長の旦那様 千波(せんぱ)さん。時々 何気ない日常の風景を8ミリビデオで撮影してくれた。駐車場でグルグルと笑いながら走り回る私達姉妹や食事の様子、買い物から帰る母などを撮影してくれた。時々 家族みんなで 電気を消した部屋に集まり 8ミリビデオで撮った映像を襖に映し 小さな映画館と名付けて楽しんだ。特に面白かったのが逆再生。音もない映像の逆再生を観てはケラケラと声をあげて笑った。減っていくはずのパンが 食べる度に どんどん増えていく。何度見ても新鮮。何度観ても笑えた。

靴下屋のこんちゃん

その当時 自由が丘デパート地下には 日用品から八百屋 魚屋まであり 沢山の人で賑わっていた。その中の一軒 靴下屋に こんちゃんというおじさんがいた。こんちゃん1人が動くスペースしかない  靴下で ギッシリと埋め尽くされた店内。店の真ん中で木製の丸椅子に座り新聞読み いつもラジオが流れていた。「こんちゃん!」と遊びに行くと 手編みのイスラムワッチのようなニット帽を被ったこんちゃんが「おう!」と言って笑顔で挨拶してくれる。特に用もないのに 遊びに行ったりした。何を話していたのかは記憶にないけれど いつもニコニコしながら 話を聞いてくれていた。とにかく優しい人なのだ。 靴下を買う時は サイズや長さ色などを伝えると 積み上げた商品の中から ピタリあった靴下を出してくれる。あれだけ詰まった商品の中から 迷うことなく出してくれるのだ。流石 店主!流石 こんちゃん!